ようこそ! 忍者ブログ
ここは青森裕貴と結城偈斗の2代目合同ブログです                                                                                                                                                                         各投稿のタイトル部分をクリックすると、コメントを含む全文を表示します(投稿ごと)。
[4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14

「じゃあ行くな?」
「ああ」

 それが、僕が父と交わした最後の言葉でした。

 昨年の夏だったか、秋だったか。急に父から電話がありました。
「ガンやってわかった」
 その父の言葉は、僕には全く現実感のないものでした。
「もう覚悟はできてる」
 父はそうも言いましたが、それも僕には同じような感覚でした。

 そして、年の瀬も差し迫った、昨年12月。僕は毎年と同じく、帰省しました。
 その前日、交通渋滞によっては家に着くのは終電くらいの時間になるかも、と母に伝えると、父は「遅くならなくても連絡し。大阪駅まで迎えに行くから」と言います。
 さすがにそれはやめて欲しかったんです。もう健康な身体ではないのだから、「無理せんでいいよ」って。それでも父は、家の車で僕を迎えに来てくれたのでした。
 以前から、父は僕から子離れが出来ていないような人でしたから、その時も少し呆れてしまいましたが、父の好きなように、父が望むように甘えることにしました。
 今思えば、これが、父への最後の親孝行になってしまったような、そんな気がしています。
 実家に着いてからも、少し辛そうにしていた父。聞けば、ここのところ食欲があまりなく、体重もどんどん減っていると。その時、僕は初めて本当の意味で現実を感じたような気がします。
 正月も毎年と同じように過ごしました。いや、いつもより家族のだんらんが深かったようにも思えます。元旦のおとそを家族で酌み交わしたのも、随分と久しぶりのことでしたから。
 やがて三賀日も明け、東京に戻る僕は「もしかしたら、これが父さんが生きている間の最後の帰省かもしれない」と感じていました。

 2月。
 母からの電話。
「先生(医者)が、そろそろ危ないから、一度顔見せに来てもらえって言ってんねんけど来れる?」
 僕は東京在住、実家は大阪。その距離では本来は簡単に行き来することはできませんが、それでも家族のことです。行かない、という選択肢はありませんでした。
 2月10日日曜日。新幹線で帰省――。
 1月の下旬から、父自らの判断で入院しているという、大阪・鶴橋の赤十字病院へ向かいました。
 相変わらず少し苦しそうでしたが、意外と元気そうでした。軽口が出たりもしていましたから。
 主に母が父の相手をしていました。僕は病室でそばにいるだけ。
 父には、数日前から幻覚が見えていたとようだと母から聞いていましたが、確かにそのようでした。会話も全くということではありませんが、中々かみ合わないと言うか続かないと言うか。病魔に襲われている父が、実際の年齢よりも更に年老いてしまっているようで、寂しい気持ちになりました。それでも母は、懸命に話しをします。これが、夫婦ってものなのかなと思い、なんだか心が温かくなりました。
 やがて面会時間が終了に近付き、仕方なく母と僕は家に戻ることにしました。その時に父と交わしたのが、冒頭に記した言葉でした。
 母には「なんかもうあかんのか結構元気なのかようわからんな」と僕は言いましたが、母も父と同様、すでに覚悟は出来ていたのでしょう。あまり前向きな言葉は返ってきませんでした。
 そんな少し重い時間を過ごした僕は、翌日、東京に戻りました。

 世間様が連休明けとなった、2月12日。
 朝、母からの電話で、僕は知りました。
 「お父さん、亡くなったから」
 丁度一週間前の朝、父はこの世を去りました。

 昨日東京に戻ってきたところで、その翌日にまた帰省するという強硬スケジュールとなりましたがそんなことは問題ではありません。本当ならすぐにでも大阪に戻りたかったのですが、さすがに予想していなかった事態でしたので、やらなければいけないことがそれなりにあった僕が新幹線に乗ったのは、夕方と呼ぶべき時間になってしまってからでした。
 およそ3時間後に帰宅したとき、母は親せきに連絡をしていました。その数はやはり少なくありません。大変そうにしていた母ですが、これは母がやるべきこと、やらなきゃいけないこと。だから僕は、連絡先が分からない人の連絡先を調べるくらいの手伝いに終始したのでした。

 その日はもう遅かったので、父に会ったのは翌日。葬儀場で、葬儀業者とその夜の通夜と翌日の告別式の打ち合わせを済ませた後でした。
 思えば、父には迷惑を掛け続けてしまった40年余りでした。たくさん悪い事をしました。嫁を見せることも、孫を見せることもできませんでした。そしてもう、父の喜ぶ顔は、もう2度と見ることができません。
 平日ですから、親せきと言えども葬儀に出席することは難しい。そういう事情もあって所謂、家族葬という形をとりました。通夜と告別式に出てくれたのは、家族以外ではいとこと母方の叔父だけ。因みに、実は僕には兄がいるのですが、いくら電話をしても繋がらず、通夜にも告別式にも来ませんでした。
 前々から僕は思っていました。
「親が死んだときって、俺は泣くのだろうか。泣けるのだろうか」と。
 もう涙なんて涸れてしまったんじゃないかと思っていたんですが、やはり最後の別れとなると涙って出てくるんですね。自分でも少し驚きました。
 告別式が済んだ後は骨上げ。送り出しの時はちゃんと参列して、手伝いもしたのですが、このあと収録が予定されていた僕は、断腸の思いで葬儀場を後にしました。
 こんな時にまで、つくづく親不孝ですね。自分が情けなくなるくらい。

 火葬場から一度引き返してきて昼食をとったあと、僕は母に言いました。
「落ち着いたら、猫か犬でも飼ったら?」
 親不孝な息子どもは滅多に帰ってこない。
 最愛の人を亡くした母は、実家で一人です。寂しくないわけがない。亡くなった父は80歳を越えていた人間だから、先が長くないことくらい解っていたでしょうが、実際に生きているのと死んでしまったのでは全く違う。
 だからせめて、寂しさだけはあまり感じて欲しくないと思ったし、今も思っているんです。
 でも、生き物を飼うというのは世話をするのが大変だいう母の気持ちも解るから、自分の考えを押し付けることなんてできない。
 僕にできることは、励ますことだけしかありませんでした。

 兄と連絡が付かない今、我が家族は母一人子一人の状態です。そして、父と同い年の母も、連絡が取れない兄も、いつ亡くなったとしても不思議ではありません。
 そう思うと僕は不安で押し潰されそうです。特に、母が亡くなってしまったら、僕にできることがあるのだろうか、何もできないのではないか、と。
 考えたくはないですが、考えなくてはいけない時期に来ているんですよね。
 子供の世話をするのが親の仕事だと思いますが、逆に、年老いた親の面倒を見るのは子供の仕事だと思います。ですから、大阪と東京に離れて暮らすことがいい事だとは到底思えません。一緒に暮らすべきです。
 でもそう簡単に結論は出せません。母のことは気になりますが、僕にも生活がある。仕事がある。だから、どうするのがベストなのか、今は判りません。僕が大阪に戻るのか、母に東京に来てもらうのか? だとしたら引っ越しはどうする? 母の身体に負担が掛かり過ぎるだろう。
 問題はまだまだ山積しています。

 今まで僕は結婚というのは形式でしかないと思っていました。愛する人さえいれば、籍など入れる必要はないと。
 でも考えというか捉え方というか、それが変わってきました。結婚は生きる手段であり、(語弊はあるかもしれませんが、)ツールなのだと。
 結婚して夫婦になるというのは、人が一人ぼっちにならないために有効な手段なのではないかと。
 もうこの年ですから、結婚に夢など持っていません。
 ですが、結婚することで母を喜ばせることはできる気がします。それが結婚する理由の全てではありませんが、結婚するってことが親孝行になるとするなら、それは形式ではなく、大きな意味があることなのだと、今は思い始めています。

 来月、四十九日で帰省します。その後も遺品整理もしなくちゃいけないし、プロパイダの契約解除の手続きなどもあるしで、ゴールデンウィーク、盆、シルバーウィークと、しばらくは数か月おきに帰省することになろうかと思います。
 長いようで短い、短いようで長い、そんな時間のように思っていますが、母のことと自分のこと、もっと深く考えなければいけないと思っています。それが引いては父の供養にもなるのではないかとも思えるんです。
PR

本日朝早く、父が他界しました。
今、大阪の実家にいます
明日が通夜、明後日が告別式です。

すいません、今日はこれだけで勘弁して下さい。

明けましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。
今年も大したことは書かないと思いますが、時々覗きに来ていただけると嬉しいです。
今年もどうぞよろしくお願いします。

青森裕 結城偈斗

去る12月15日、大田区蒲田にあります、スタジオ80(オンタッタ)で行われたイベント、「Soundtrack Pub【Mission#37】劇伴酒場忘年会&キャニオン特集(完結編)」に出演させていただけましたので、そのレポートをお届けします。

まずは出演の前段階、構成のお話から始めましょうか。
構成は結城が担当、DJは青森が担当、ということを最初にお断りしておきます。
いただいた時間は30分ということで、当然時間内に収まるように構成するわけですが、まず候補として挙げた作品が、以下の通り。

マジンガーZ
グレートマジンガー
UFOロボグレンダイザー
ゲッターロボ
ゲッターロボG
宇宙戦艦ヤマト
ヤマトよ永遠に
あしたのジョー
ウルトラセブン
仮面ライダー
仮面ライダーストロンガー
秘密戦隊ゴレンジャー
宇宙刑事ギャバン
宇宙刑事シャリバン
宇宙刑事シャイダー

最初に考えたテーマは、7~80年代アニメと特撮のベスト映像音楽集(裏テーマとして、私的ベストBGMコレクション)だったのですが、途中で「あ、セブンは60年代だった」と気付き、表のテーマはあっさり撤回、裏テーマが表になったのでした。
続いて選曲をしていくのですが、その前に大雑把に2部構成と考えました。それすなわち、前半(第1部)は通常BGM、後半(第2部)はメロオケコーナー。
で、曲だけを並べていくと時間が少し余ったので、もう1曲足すことに。逆転イッパツマンからメロオケを入れようと。するとちょうどいい時間になりました。
ん? ちょっと待て。気付いた結城。これでは青森が喋る時間がない! ということで、イッパツマンはあっさりオミット。今まで決めていた曲も1曲は短いバージョンに変更。そこから改めて曲順を決定、台本を作って自己リハ開始。喋ってみるとなんとか30分に収まり一安心。

で、当日、機材の扱いでちょっと手間取ったものの、青森の担当パート開始。
その詳細なセットリストは、以下の通り。

掛け声、セリフはすべて青森が担当
なお、Mー01~08までが前半ブロック、10~12までが後半ブロック

M-01 パイルダーオン!(B-1) 「マジンガーZ」BGM 作曲・渡辺宙明
タイトルは、テレビオリジナルBGMコレクション マジンガーZより引用
※曲前に「パイルダーオーン!」の掛け声

M-02 グレートマジンガー!勝利への大逆襲!!(M-17) 「グレートマジンガー」BGM 作曲・渡辺宙明
タイトルは、エターナルエディション グレートマジンガーより引用
※曲前に「スクランブルダッシュ!」の掛け声

M-03 戦闘(I-1) 「UFOロボグレンダイザー」BGM 作曲・菊池俊輔
タイトルは、菊池俊輔BGMコレクションのもの
※曲前に「ダイザーゴウ!」の掛け声

M-04 ウルトラセブン登場(M-32) 「ウルトラセブン」BGM (曲の頭に変身のSEを被せて) 作曲・冬木透
タイトルは、ウルトラセブンミュージックファイルより引用 
※曲前に「ジュワッ!」の掛け声

M-05 見よ!電気人間ストロンガー(M-12) 「仮面ライダーストロンガー」BGM 作曲・菊池俊輔
タイトルは、テレビオリジナルBGMコレクション仮面ライダーIIより引用
※曲中に「天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ~」の名乗りセリフをフルバージョンで

M-06 裏切りと勝利と(3M-81) 「あしたのジョー(TV版)」BGM 作曲・八木正夫
タイトルは、あしたのジョーオリジナルサウンドトラック本命盤より引用
※曲前に「ジョー!」のセリフ

M-07 元祖ヤマトのテーマ・2コーラスバージョン 「宇宙戦艦ヤマト」BGM 作曲・宮川泰
タイトルは、宇宙戦艦ヤマトBGM集より引用
※曲前に「ヤマト、発進!」のセリフ

Mー08 レーザー・メドレー 3本の剣~ギャバン・シャリバン・シャイダー 「宇宙刑事シリーズ」BGM 作曲・渡辺宙明
宇宙刑事ギャバンのB-11、宇宙刑事シャリバンのB-2、宇宙刑事シャイダーのB-3の新録音メドレー

M-09 仮面ライダーアイキャッチ音楽M-3
※ブリッジ的に使用

M-10 レッツゴー!!ライダーキック(TVサイズメロオケ・M-8) 「仮面ライダー」BGM 作曲・菊池俊輔
※イントロ部分で「ライダー、変身!」の掛け声

M-11 秘密戦隊ゴレンジャー(メロオケ) 「秘密戦隊ゴレンジャー」BGM 作曲・渡辺宙明
※イントロ部分で「五人そろって、ゴレンジャー!」と「アタック!」のセリフ
「ゴレンジャー!」の部分は来店中のお客様方にもお手伝い頂きました
お手伝いしてくださった皆様、改めまして、ありがとうございました

M-12 不滅のマシンゲッターロボ(テレビサイズ・メロオケ) 「ゲッターロボG」BGM 作曲・菊池俊輔
※イントロ部分で「ゲットマシン、発進!」の掛け声

なのですが、上記の候補作の中の「ゲッターロボ」と「ヤマトよ永遠に」が入ってませんよね。
「ヤマトよ永遠に」の方は最後にエンディングテーマとして使えれば使おうと思っていたので、掛けることが出来なくても良かったのですが、想定外だったのが「ゲッターロボ」。これを最後に掛けようと思っていたのですが、喋りが多すぎたのでしょう、時間が無くなり泣く泣くオミット。これが今回唯一の残念ポイントでした。
次回があれば、この曲を最優先に入れたいと思います。
あとはタツノコ作品がなかったのでそれも行きたい。他には、合体シーン用BGM特集とか、ワンダバ特集とかも、と次回への構想も少し考えたりしています。今回は歌は選曲しなかったので、次はテレビサイズを入れたいしなー。こういう構想(妄想とも言いますが)してる時も楽しいですな、うむ。

それにしても、お客様にもお手伝い頂けて、楽しい時間でした。
「アニメ特撮音楽ラジオ、やりたいなあ」と、青森(DJ)も結城(構成)も思ってます。その時のオープニング曲は「Zのテーマ」に、エンディング曲は「不滅のマシンゲッターロボ」にするぞ、と、出来もしないことも考えています!(威張るこっちゃない)

それは兎も角、ご依頼、お待ちしています。

最後に、腹巻猫さん、不破了三さん、そしてすべてのお客さま、本当にありがとうございました。

SNSがかなり身近になって、誰でも簡単に発信できるというのは、もちろん利点もたくさんあるけど、その分、危うさもある、というのは、いつでもしっかりと心に留めておかなければならないことです。

たかがSNSと侮るなかれ。

いい事を広められるだけならいいですが、誰かを傷つけたりすることだってあります。ペンは剣よりも強し、と言います。ですがそれは時に凶器にもなるということ。素性を明かさないで凶器を使うことは、現実の通り魔と同じ行為です。
ですから、正しい心、優しさ、思いやりといったものを忘れないで欲しい。

この声が、どれだけの皆さんに届くのかは分かりません。もしかしたら、誰も知らないで終わるかもしれない。
だけど、それでも僕は、一人でも多くの人に、人を傷つけたり騙したりする行為が、愚かで、残酷であることを解ってほしくて、あるいは、こんなに素敵なことがあるんだよ、ということを知ってもらいたくて、発信します。
その根底には、やはり表現者という土台があるのかなと、自分で改めて気付いたり(^^;)
カテゴリー
青森裕としてのブログ、結城偈斗としてのブログ、2人兼用のブログ、アニソン特ソン語り、その他の結城偈斗のオタクな話題、などなど、色々取り揃えています。カテゴリー別に見ると変わった見方が出来るかも?
プロフィール
名前
青森裕貴(結城偈斗)
HP:
性別
男性
職業
声優とか声の仕事をやってて、物書きでもあるけど、実質は…
仕事歴
※現在でも確認可能なもののみ挙げています。

声の仕事

○映画『カリーナの林檎~チェルノブイリの森(日本語吹き替え版)』(カリーナの父役)
DVD発売中(カリーナの林檎~チェルノブイリの森~(メモリアルエディション) 発売元:カリーナプロジェクト 販売元:ビクターエンタテインメント)

○PSP用ゲームソフト『ましろ色シンフォニー *mutsu-no-hana』(発売元:COMFORT)

顔出しの仕事
○約三十の嘘(映画・エキストラ ※DVD発売中)


ライティングの仕事
○モバイルゲーム(iモード)『女子社員恋愛も~る(元タイトル「シックスガール」』シナリオ(共同執筆)


ダンガンロンパ同人誌『DANGANRONPA THE EXPRESSION』(解説等執筆)
※既に放映や配信が終了したものは、下記リンクの「BLUE FOREST」や「BLUE FOREST MARK-2」をご覧下さい。
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
最新コメント
[04/15 青森裕貴]
[01/28 青森裕貴]
[10/31 ピカイア]
[07/05 水鳥]
[04/08 ピカイア]
最新トラックバック
バーコード
ブログ内検索
最古記事
忍者ブログ [PR]