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ここは青森裕貴と結城偈斗の2代目合同ブログです                                                                                                                                                                         各投稿のタイトル部分をクリックすると、コメントを含む全文を表示します(投稿ごと)。
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正直、声優業は頭打ちになっている感じがしているので、そろそろ一旦、比重をライティング業に少しシフトしようと思う。今までは7:3くらいだったけど、4:6が3:7くらいにしようかと思う。
サークル用とかも悪くはないが、やっぱり仕事としてやる機会も増やさなきゃ。

書きますよ。オファーお待ちしてます。
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時に、自分の価値観での言葉や行動は自分以外の人の気分を害する場合や、失礼にあたることがある。
 だけどそこで抑えつけられるとしたら、僕は何も言えなくなるし何もできなくなる。
 「こいつはそういうやつなんだ」と納得してもらうしかないのだけど、それがダメなら、詫びるしかない。
 僕はそんなに器用でなければそんなに賢くもない。
 欠陥で出来ている人間なのです。
 だから独りで、誰とも関りを持たずに生きていかなければならないのかも、知れない。
 僕は気にしない事が他の人には気に入らない事があるというのはその逆もまた然り、なんだけど、僕は相手の言い分も尊重する。
 でも言わなきゃいけないべき事だと思ったら言う。相手が見ず知らずの人でない限り誰だろうと。自分を守る為には戦う事も必要な場合はある。さっきの話とは齟齬が生じるけど。
 それでも思う。
 なんの差し障りのない言葉でどうなるというのだろう。
 自分を騙すようなこと、ただ相手にゴマをするように顔色を窺いながら話すこと、自分のプライドをすべて捨ててまで人と関わること。そうやってがんじがらめに縛り付けられている生き方で、一生を過ごすのか? そんな人生ごめん被る。
 自分に素直に正直に生きたい。
 昔から僕は「言わなくていい事まで言う」と言われる事がある。それは解らないでもない。しかし、繰り返しになるが、自分を騙す、自分を誤魔化す、そんな生き方はしたくない。好きな物は好き、嫌な事は嫌、ちゃんと言う。納得できないなら、抗う。
 その生き方は変えたくない。
(ツイッター上での発言を転載、一部追記しました)

ついにこの日が来てしまいました。
過去数十年生きてきて、今日ほど憂鬱だったのは初めてじゃないかと思います。
青森裕、結城偈斗、本日で47歳になりました。
本人が全然めでたくないと思っていますので「おめでとう」などのお言葉は謹んで遠慮させていただきます。ご理解ください。
んで、正直言って「死んでしまいたい」と思いました。齢を一つ取ったところで、目の前に広がっているのは、絶望でしかないからです。最近はあんまり「いいことがない」とか「つまらねーな!」とか言わなかったのですが、本音はやっぱり「面白くねえ!」なんです。
こんななら生きててもし方ねえだろ。と思うんです。でもね。死ねない。
今俺が死んだら、母さんは一人ぼっちになってしまう。しかも、父さんが死んでからまだ半年も経ってないのです。ただでさえ寂しい思いをさせているのに。
他の人が泣かなくても、母さんは俺が死んだら泣く。断言できる。だから死ねない。一人でも、俺の死に涙する人がいるなら、俺は死んではいけない。だから、つまらなかろうが、いい事がなかろうが、もうしばらく生きる。それしか選択肢はないのです……。

昨夜夢を見たんです。
商店街らしきところを歩いていて、あったはずの店がない、と思って。だから、探してみたんです。
で、少し奥へ進むと
「あ、あった、こんなところに来てたのか」
と発見。
その店は、ずばり「宝くじ売り場」!

そして時は過ぎて夕方。
「もしかして昨夜見た夢は、何かの予知夢ではないのか?」
と思い、それを信じて、ロト6を1口購入。選んだ数字は、8、17、18、28、28、39の3つ。
なぜか? 17は言うまでもありません(笑)。39は「ありがとう(サンキュー)」と先にお礼を、という意味で。
あとの8関連は、と言うと、とある占いのラッキーナンバーが8だったから。
とは言え、今まで何回も買ってきたロト6は、5等が1回当たっただけ。
「でもなあ、今回もダメなんだろうな……。」
と弱気に。でもせっかく買ったんだし、結果をちゃんと見届けようと思いなおし。そんな揺れる男心(笑)。恐る恐るネットで当然番号を確認すると、

3つ当ってるぅぅぅぅぅ!


ということで、生涯2度目のロト当選と相成りました。わーいわーい!

・・・うるせえ! 5等でもなあ、1000円でもなあ、当たると嬉しいんだよ、コンチキショーemoji

明日にでも換金してこよう!

「じゃあ行くな?」
「ああ」

 それが、僕が父と交わした最後の言葉でした。

 昨年の夏だったか、秋だったか。急に父から電話がありました。
「ガンやってわかった」
 その父の言葉は、僕には全く現実感のないものでした。
「もう覚悟はできてる」
 父はそうも言いましたが、それも僕には同じような感覚でした。

 そして、年の瀬も差し迫った、昨年12月。僕は毎年と同じく、帰省しました。
 その前日、交通渋滞によっては家に着くのは終電くらいの時間になるかも、と母に伝えると、父は「遅くならなくても連絡し。大阪駅まで迎えに行くから」と言います。
 さすがにそれはやめて欲しかったんです。もう健康な身体ではないのだから、「無理せんでいいよ」って。それでも父は、家の車で僕を迎えに来てくれたのでした。
 以前から、父は僕から子離れが出来ていないような人でしたから、その時も少し呆れてしまいましたが、父の好きなように、父が望むように甘えることにしました。
 今思えば、これが、父への最後の親孝行になってしまったような、そんな気がしています。
 実家に着いてからも、少し辛そうにしていた父。聞けば、ここのところ食欲があまりなく、体重もどんどん減っていると。その時、僕は初めて本当の意味で現実を感じたような気がします。
 正月も毎年と同じように過ごしました。いや、いつもより家族のだんらんが深かったようにも思えます。元旦のおとそを家族で酌み交わしたのも、随分と久しぶりのことでしたから。
 やがて三賀日も明け、東京に戻る僕は「もしかしたら、これが父さんが生きている間の最後の帰省かもしれない」と感じていました。

 2月。
 母からの電話。
「先生(医者)が、そろそろ危ないから、一度顔見せに来てもらえって言ってんねんけど来れる?」
 僕は東京在住、実家は大阪。その距離では本来は簡単に行き来することはできませんが、それでも家族のことです。行かない、という選択肢はありませんでした。
 2月10日日曜日。新幹線で帰省――。
 1月の下旬から、父自らの判断で入院しているという、大阪・鶴橋の赤十字病院へ向かいました。
 相変わらず少し苦しそうでしたが、意外と元気そうでした。軽口が出たりもしていましたから。
 主に母が父の相手をしていました。僕は病室でそばにいるだけ。
 父には、数日前から幻覚が見えていたとようだと母から聞いていましたが、確かにそのようでした。会話も全くということではありませんが、中々かみ合わないと言うか続かないと言うか。病魔に襲われている父が、実際の年齢よりも更に年老いてしまっているようで、寂しい気持ちになりました。それでも母は、懸命に話しをします。これが、夫婦ってものなのかなと思い、なんだか心が温かくなりました。
 やがて面会時間が終了に近付き、仕方なく母と僕は家に戻ることにしました。その時に父と交わしたのが、冒頭に記した言葉でした。
 母には「なんかもうあかんのか結構元気なのかようわからんな」と僕は言いましたが、母も父と同様、すでに覚悟は出来ていたのでしょう。あまり前向きな言葉は返ってきませんでした。
 そんな少し重い時間を過ごした僕は、翌日、東京に戻りました。

 世間様が連休明けとなった、2月12日。
 朝、母からの電話で、僕は知りました。
 「お父さん、亡くなったから」
 丁度一週間前の朝、父はこの世を去りました。

 昨日東京に戻ってきたところで、その翌日にまた帰省するという強硬スケジュールとなりましたがそんなことは問題ではありません。本当ならすぐにでも大阪に戻りたかったのですが、さすがに予想していなかった事態でしたので、やらなければいけないことがそれなりにあった僕が新幹線に乗ったのは、夕方と呼ぶべき時間になってしまってからでした。
 およそ3時間後に帰宅したとき、母は親せきに連絡をしていました。その数はやはり少なくありません。大変そうにしていた母ですが、これは母がやるべきこと、やらなきゃいけないこと。だから僕は、連絡先が分からない人の連絡先を調べるくらいの手伝いに終始したのでした。

 その日はもう遅かったので、父に会ったのは翌日。葬儀場で、葬儀業者とその夜の通夜と翌日の告別式の打ち合わせを済ませた後でした。
 思えば、父には迷惑を掛け続けてしまった40年余りでした。たくさん悪い事をしました。嫁を見せることも、孫を見せることもできませんでした。そしてもう、父の喜ぶ顔は、もう2度と見ることができません。
 平日ですから、親せきと言えども葬儀に出席することは難しい。そういう事情もあって所謂、家族葬という形をとりました。通夜と告別式に出てくれたのは、家族以外ではいとこと母方の叔父だけ。因みに、実は僕には兄がいるのですが、いくら電話をしても繋がらず、通夜にも告別式にも来ませんでした。
 前々から僕は思っていました。
「親が死んだときって、俺は泣くのだろうか。泣けるのだろうか」と。
 もう涙なんて涸れてしまったんじゃないかと思っていたんですが、やはり最後の別れとなると涙って出てくるんですね。自分でも少し驚きました。
 告別式が済んだ後は骨上げ。送り出しの時はちゃんと参列して、手伝いもしたのですが、このあと収録が予定されていた僕は、断腸の思いで葬儀場を後にしました。
 こんな時にまで、つくづく親不孝ですね。自分が情けなくなるくらい。

 火葬場から一度引き返してきて昼食をとったあと、僕は母に言いました。
「落ち着いたら、猫か犬でも飼ったら?」
 親不孝な息子どもは滅多に帰ってこない。
 最愛の人を亡くした母は、実家で一人です。寂しくないわけがない。亡くなった父は80歳を越えていた人間だから、先が長くないことくらい解っていたでしょうが、実際に生きているのと死んでしまったのでは全く違う。
 だからせめて、寂しさだけはあまり感じて欲しくないと思ったし、今も思っているんです。
 でも、生き物を飼うというのは世話をするのが大変だいう母の気持ちも解るから、自分の考えを押し付けることなんてできない。
 僕にできることは、励ますことだけしかありませんでした。

 兄と連絡が付かない今、我が家族は母一人子一人の状態です。そして、父と同い年の母も、連絡が取れない兄も、いつ亡くなったとしても不思議ではありません。
 そう思うと僕は不安で押し潰されそうです。特に、母が亡くなってしまったら、僕にできることがあるのだろうか、何もできないのではないか、と。
 考えたくはないですが、考えなくてはいけない時期に来ているんですよね。
 子供の世話をするのが親の仕事だと思いますが、逆に、年老いた親の面倒を見るのは子供の仕事だと思います。ですから、大阪と東京に離れて暮らすことがいい事だとは到底思えません。一緒に暮らすべきです。
 でもそう簡単に結論は出せません。母のことは気になりますが、僕にも生活がある。仕事がある。だから、どうするのがベストなのか、今は判りません。僕が大阪に戻るのか、母に東京に来てもらうのか? だとしたら引っ越しはどうする? 母の身体に負担が掛かり過ぎるだろう。
 問題はまだまだ山積しています。

 今まで僕は結婚というのは形式でしかないと思っていました。愛する人さえいれば、籍など入れる必要はないと。
 でも考えというか捉え方というか、それが変わってきました。結婚は生きる手段であり、(語弊はあるかもしれませんが、)ツールなのだと。
 結婚して夫婦になるというのは、人が一人ぼっちにならないために有効な手段なのではないかと。
 もうこの年ですから、結婚に夢など持っていません。
 ですが、結婚することで母を喜ばせることはできる気がします。それが結婚する理由の全てではありませんが、結婚するってことが親孝行になるとするなら、それは形式ではなく、大きな意味があることなのだと、今は思い始めています。

 来月、四十九日で帰省します。その後も遺品整理もしなくちゃいけないし、プロパイダの契約解除の手続きなどもあるしで、ゴールデンウィーク、盆、シルバーウィークと、しばらくは数か月おきに帰省することになろうかと思います。
 長いようで短い、短いようで長い、そんな時間のように思っていますが、母のことと自分のこと、もっと深く考えなければいけないと思っています。それが引いては父の供養にもなるのではないかとも思えるんです。
カテゴリー
青森裕としてのブログ、結城偈斗としてのブログ、2人兼用のブログ、アニソン特ソン語り、その他の結城偈斗のオタクな話題、などなど、色々取り揃えています。カテゴリー別に見ると変わった見方が出来るかも?
プロフィール
名前
青森裕貴(結城偈斗)
HP:
性別
男性
職業
声優とか声の仕事をやってて、物書きでもあるけど、実質は…
仕事歴
※現在でも確認可能なもののみ挙げています。

声の仕事

○映画『カリーナの林檎~チェルノブイリの森(日本語吹き替え版)』(カリーナの父役)
DVD発売中(カリーナの林檎~チェルノブイリの森~(メモリアルエディション) 発売元:カリーナプロジェクト 販売元:ビクターエンタテインメント)

○PSP用ゲームソフト『ましろ色シンフォニー *mutsu-no-hana』(発売元:COMFORT)

顔出しの仕事
○約三十の嘘(映画・エキストラ ※DVD発売中)


ライティングの仕事
○モバイルゲーム(iモード)『女子社員恋愛も~る(元タイトル「シックスガール」』シナリオ(共同執筆)


ダンガンロンパ同人誌『DANGANRONPA THE EXPRESSION』(解説等執筆)
※既に放映や配信が終了したものは、下記リンクの「BLUE FOREST」や「BLUE FOREST MARK-2」をご覧下さい。
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